Vol. 7
 
第7話 高原のポニー号が走った日
 
 ずいぶん懐かしい写真が出てきました。昭和48年にファンの要望で復活運転した小海線「高原のポニー号」です。中学1年の夏でした。よっぽど行きたかったんでしょうか、前日の夜に目に涙を浮かべながら両親に頼み込んでました。結果は「遠すぎてだめ。代わりに近いところに連れて行く」と言われて、ぶすっとしながら床に入りました。翌日出掛けに父親から「う〜ん、まあ、カメラだけは持って来いよ」の言葉に有頂天になったのを覚えています。当時は中央高速が大月(から河口湖方面)までで、今なら気軽に行ける八ヶ岳もけっこう遠かったんですね。もう30年以上も前のお話です。
 撮影ポイントは全て父親まかせ。それにしても、鉄でもないし、普段から写真を撮っているわけでもないのに、意外なほどポイントを押さえていると思います。なんて言うのは身内の理、でしょうか?
 結局、父親と二人で出掛けたのは撮影その他を含めても、これと会津の2回きりでした。(記憶では・・)

 

 
言わずと知れた、撮影ポイント境川鉄橋です。今では後ろに横断道路が走り、
旧道からは鉄橋を見ることもできません。
8月19日、道路沿いは人でいっぱいになり、後ろの斜面によじ登って撮って
いました。子供のこと、待っている間に喉が渇き下で待っている親にジュースを
とってくれと叫んだんですね。そうすると、斜面で構えていた方々の手で次々と
送られて手元に来たなまぬるいジュース、なんか忘れられません。
あの時手を煩わせた方、もし見られていたら、ぜひご連絡を(笑)

小海線 清里-野辺山
 

 
 ネガを見直してみると、上り列車片道だけの撮影だったようです。
当時は、車で撮影に来る方は極端に少なかったからか、4回くらい撮影
できていました。
 


 
 中込駅だと思います。長時間停車に乗客が降りて、思い思いに
スナップをしています。時期としてはSLブームが一番盛り上がって
いた頃ではないでしょうか?

 

 
 撮影地はたぶん、小海-松原湖か、松原湖-海尻間の鉄橋だと思います。
今度、小海線に撮影に行くときにでも、場所の確認をして来ます
 

 
 場所は完全にわかりません。たしか、前のポイントで撮影して、車で走って
いたら、パトカーに先導されて、そのまま走っていたら、この川原に出た・・・
のような、シチュエーションだったよう気もします。

 

 
  高原のポニー号を待つ間に撮った各駅停車。一枚だけシャッターを切って
いました。今見ると、実になつかしい絵ですね。この後、貨物列車がDD16に
バトンタッチしても、しばらく通った場所です。

小海線 清里-野辺山


 
当時の国鉄最高地点の碑です。
みやげ物屋の並んだ今と比べると・・・
 
小海線 清里-野辺山